こんばんは、千すけです。
今日は、私の好きな本にについて書きます。
これ、シリーズ化しようと思っています…続けば。(^^; 好きな本のうち、着物に通じる本を載せていく予定です。
さて、
『陰翳礼讃』谷崎潤一郎
こちらは、谷崎潤一郎作『陰翳礼讃』に、
フォトグラファーの大川裕弘さんの写真を贅沢に入れたバージョン。
『陰翳礼讃』自体は、文庫本に短編の一つとして収まるぐらいの長さなので、
この厚みが、いかに写真がふんだんに使われているかを物語っています。
文庫本二冊分くらいの厚み。
陰翳礼讃を読んだことがある方も、写真集としてぜひ改めて見てほしい!
日本人は、なぜ「陰影」「暗がり」を好むのか。
そこに、日本の美学がある。
同じ谷崎潤一郎作の『細雪』でも、四姉妹がそれぞれの個性に合った着物を選んで着ている繊細な描写がたくさんあり、想像しながら読むだけでもうっとり楽しい。
そしてこの『陰翳礼讃』も、言葉の一つひとつが、美しいのはもちろん、妙にリアリティがあるというか、生々しいというか…
「その感じ、知っている…!」と思う事が、たくさんありました。
私が特に好きなのはこのページ。
漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつつあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口にふくむ前にぼんやり味わいを予覚する。その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。
(株)パイ インターナショナル 『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 大川裕弘 P.90
この「汁がゆるやかに動揺する」感じ、初めて出会う表現だけれど、すごくよくわかる…!
まじまじと意識した事はなかったけれど、
たしかにその感触を、私も知っている。
そして話題は、椀から羊羹へ。
うんうん、そうなのそうなの〜!
ほんとそれ!
(私はクリームなども大好きですけどね…^^笑)
読み進めていくにつれ、
考えたこともなく、無意識だったとしても、自分の中に「その感じ、知ってる…!!」と思うことがこんなにもあったのかと、驚く。
↑ 妖怪とか書かれていますが、確かに私は、京都に行くとなんとなくそんなものを思い出すことがあります。
京都の古い街並みや家屋の、細く狭く暗い部分が、
「昔、日本にいたもの」
「暗がりの中で共存していたもの」
「まだ会えるかもしれないもの」
そういうものたちの存在を、思い出させてくれる。
トトロとかまっくろくろすけも、たぶんそういう類。
そんな、「改めて意識した事はなかったけれど、そういえば、知っている」という感覚がある一方、
逆に、「へえ、そんなもんなのか」と思うような、知らなさすぎて(昔の厠とか、ろうそくだけの夜とか)想像するしかないものも。
それでもやっぱり、「ああ、それいいな。見てみたいな」と思う。そして、想像すると、文章から、なんとなくその空気や温度、明度が伝わってくる気がする。
きっと、日本で生まれ育ったら(いや、そもそも遺伝子に刻まれていたりするのかも)、どこかで感じたことがある、知っている、懐かしい感じを、呼び覚ましてくれる本ではないかな、と思います。
そういえば、以前に京都旅行で鞍馬山(←源義経が天狗に会ったとされるあの山です)に行った時、カメラがおかしくなったんです。
なぜか明るく映りすぎる。
帰ってから、ビッ◯カメラに行って、いかにも生き字引風のベテランおじいちゃんに見てもらうも、「何が原因かわからない。おかしくない気もするけどなんか変だね」みたいな煮え切らない事を言われ
(このおじいちゃんはもしかして最近のカメラには弱いのでは…という疑念は残る。)
レンズを替えると直るので、多分レンズの破損とか不具合だと思うのですが、
私はひそかに、天狗のいたずらではないかと思っている…(^^;
自分でどこかにぶつけたりしたかもしれないのに天狗のせいにすんなよって感じですが。笑
天狗のしわざの方が、ロマンがあるよね( ´ ▽ ` )
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