こんばんは、千すけです。
今日は、かるた の事。
子供の頃、どっぷり浸ったカルタがありました。
『俳聖かるた』
(もう箱ボロボロ…^^;)
京都に行った母が、おみやげに買ってきてくれたもの。
当時、私は幼稚園児…。^^;
さすがに渋すぎたか、その時はあまり遊びもせず、キティちゃんのカルタを愛用していた覚えがあります。笑
数年後、小学校5年生の時に、
なんとなくこの『俳聖かるた』を引っ張り出してみて、
そして
大ブームが起きました(自分の中で)。
もう、この絵の感じがめちゃくちゃ好きで。
影響を受けすぎて、中学の頃には、顔彩という日本画用の絵の具を買ってみたこともありました。笑
顔彩・鉄鉢 | 日本画材料 吉祥 ←これこれ!懐かしい笑
この『俳聖かるた』は、
・松尾芭蕉
・与謝蕪村
・向井去来
・小林一茶
の、4人の俳人の句で構成されています。
俳句を覚えるのはもちろん、どの季節の句か、
またどれが誰の句かも、当時は全て覚えていました。
(今は全部は自信ない…^^;)
遊びにきた友達に、かるた遊びを付き合わせることもたまにありましたが、←笑
とにかく一人でこのかるたを眺めているのがとてもとても好きでした。
文学少女だったん。(о´∀`о)
中でも、すごく好きな句がこれ
温泉(ゆ)の底に我が足見ゆる今朝の秋
朝風呂でしょうか。
昔のお風呂の仕様は分からないですが、
私の感覚では、
夜、電球の光で入るお風呂よりも、
窓からの光が入って明るい時間のお風呂のほうが、湯気の存在をより強く感じられる気がします。
今も朝風呂は大好きで、特に温泉に行った時は絶対に朝も入る派なのですが、
子供の頃、朝風呂は新鮮で、楽しいと同時に、
なんだか悪いことをしているみたいな、家がいつもと違っているような、熱いお湯に入っているのに背筋が寒くなるような、変な感覚になりました。
ぼんやりした朝の光と、白い湯気と、ゆらゆらするお湯と、
それらを通して見た自分の足は、
自分の体でありながら、なんだか違う、よそよそしいものに見えたりするのかもしれません。
そんな、自分が感じていた不思議な、へんな感覚 と繋がったことも、この句が大好きだった理由だったのだと思います。
「今朝の秋」という言葉の、乾いたさわやかな空気と、湯気やお湯との対比が、
「熱いお湯に入っているのに背筋が寒い」感覚に通じるものもありました。
俳句と、この絵によって、
昔の暮らしを垣間見えるところ、知らない時代なのに懐かしさを感じるところに、強烈に惹きつけられました。
なんででしょうね、知らない時代なのに懐かしく思うのは。やっぱりDNAに刻まれているのかな?
ところで、この『俳聖かるた』の中には入っていないませんが、
祖母が大好きだった句があります。
朝顔やつるべとられてもらひ水
(加賀千代女)
井戸で水を汲もうと思ったら、釣瓶に朝顔のツルが巻きついている。
ツルを切ってしまうのは可哀想だから、お隣さんに水をもらいに行く、
という、ほのぼのとした句で、私も大好きです。
(とはいえ朝顔の時期が終わるまで、隣の井戸を借りるのかな??笑 )
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